<早朝のメダナ・ベイ>
<水田風景>
<さる山>
<チドム:馬車>
<木工作業>
<スカララ村:織物作業>
<サデ村>
<メル寺院>
<マユラ水の宮殿>
<ナルマダ離宮>
<スラナディ寺院>
<リンサル寺院>
朝8時にガイド付き車でロンボク島内観光をする。出発してまず驚いたことは、水田が広がっていることである。数年来の景色である。今まで来た島々は乾燥と栄養価のない土壌のため、それにあった植物が育っていたが、ここは水が豊富であり、水田耕作が可能だそうだ。通常二毛作で農閑期はピーナツやスイカを植えている。乾季でも水が確保できるところでは三毛作もやっている。現在が乾季なので、水田が見られるのは水が確保できているところだ。昔は「ロング米」を作っていたが、収穫までに半年掛かるため、現在では3ヶ月で収穫できる「ショート米」が多くなっている。
次に驚いたのは、ヒンヅー寺院が多く目に付くことである。かつて、バリ人が支配していた名残だそうだ。
町にはポニーの馬車がやたら目に付く。ジドンというそうで、街の重要な公共機関だそうだ。
ロンボクは世界で二番目に高い活火山リンジャニ山(3727メートル)を中心に出来ている島で、比較的南側に平地が広がっている。その裾野は緑が多く、先の水田が棚田になって美しい。
サル山を通過し、南に向かう。木工細工の村があり、よってみる。貝の象嵌が美しい家具や装飾品を作っていた。
ロンボクにはササック人(Sasak)が先住民としており、現在も人口の90%を占めている。蒙古斑を持つモンゴリアンである。
彼らはもともと北インドまたはミャンマーあたりに生活していたが、5世紀頃中国から南に民族が移動したため、追い出されるようにインドネシア(ロンボク)まで来たようだ。彼らはそれぞれ村を形成しており、二つの村を訪ねる。最初はスカララ(Sukarara)村で、伝統織物のソンケットやイカットを製作している。ソンケットの方が歴史的には古いそうだ。もう一つはサデ(Sade)村に行く。二十数件、人口100人程度の小さな村であるがほとんどが同じ建物である。まず目に付くのは草葺の米蔵である。弥生遺跡で再現されているよな米蔵である。ねずみ除けだろうか、階段がない、また、柱の付け根にはねずみ返しがついている。農家はバレタリと呼ばれ、やはり草葺で壁は竹で編んだものである。土台が面白く、粘土に牛の糞を混ぜている。乾燥後旨く固まるとのこと。玄関先にはその土の土台が広く作られており、更に一段高く土台が盛り上げられ、母屋がその上に建てられている。ここが女性の寝室で、男性は玄関先の土間で寝るそうだ。屋根の葺き替えは8~10年程度であろうか。台所は別の建物になっている。
村の中心で多くの女性たちが煮焚物をしている。聞けば、メッカに行く巡礼者(一人)の送別会が三日間催されたという。メッカ巡礼がモスレムにとって重要とは聞いていたが、こんな辺鄙なところでもその仕来りが残っているとは改めて驚く。
昼食後、メル寺院に行く。11重の塔(シバ神)と二本の9重の塔(ヴィシュヌ神、ブラフマ神)が遠くからも翌見える。残念ながら特別な日にしか入れないという。隣にマユラ水の宮殿がある。四角い池が私にとって奇異に感じられた。
続いて、ナルマダ離宮に行く。ここは谷あいをうまく使った離宮であるが、池がこれまた四角い形をしている。
時間もないので、スラナディと言うヒンドゥの寺院に行く。建物が全て黒く塗られて珍しい。
最後は、たぶん世界で一つであろうといわれるリンサル寺院に行く。5つの宗教が同じ敷地に存在する。ヒンドゥ、イスラム、仏教、ササックの原始宗教、そしてカソリックである。聖なる水も同じ水を引いて最後に5つに分岐されている。この水で三回顔をぬぐい、最後に飲むととても健康になるという。あやかってやってみる。
ササックの原始宗教がある場所で、パプア・ニューギニアでよく見たブアイ(ビトル・ナッツ)が登場してきた。やはり一部口に入れるそうだが、ここでは石のすり鉢で砕いて額に塗りつける儀式があるそうだ。
ブアイを仲立ちとして、パプア・ニューギニアと多い昔、関係があったことが分かる。
途中ガイドにインドネシアのイスラムについて話してもらう。
法律上、4人まで妻を持つことが出来る。ただし、前の夫人の了解がなければならない。了解が無いと愛人となる。この場合、相続権が発生しない。モスクの屋根に二種類ある。アラブで見た玉葱型のものと四角錘の屋根が二つ重なったもので、こちらは、仏教の影響だそうだ。IDカードには必ず所属宗教を書かねばならず、遠隔地等で死亡したときはまず、所属宗教団体に遺体が渡される仕組みだそうだ。