<金曜島で真珠養殖をしている高見さんとともに>
<日本人の慰霊塔>
<グリーン・ヒル>
<藤井富太郎翁>
ゴムボートで木曜島に上陸する。同時に隣の金曜島で真珠養殖を30年来やっている高見さんが到着する。到着した小型船には、男女二人の日本人がおり、ワーキング・ホリデーで手伝いに来ているそうだ。真珠養殖業は大変な重労働と聞かされる。彼らは月に一回開かれるマーケットに真珠を中心とした物産を展示販売するため来るそうだ。彼は現地では有名人で誰かれなく談笑するほど地元に溶け込んでいる。また、司馬遼太郎の「木曜島の夜会」にも登場してそうだ。
彼が仕事中、車を借りて島を巡る。木曜島は明治頃多くの日本人が真珠取りの仕事に来ており、先の「木曜島の夜会」でも扱われている。当時の真珠取りは労賃が非常に高い代わりに危険が多く、島の北側(APLIN村)には日本人墓地がある。約700名が埋葬されているそうだ。墓石を見て回ると、明治30年、40年台が圧倒的に多く、出身地も愛媛県と和歌山県が多く見受けられる。1979年には新しく慰霊塔が建てられている。確認できなかったが、潜水の危険とは当時では潜水病のほかに鮫や鰐の襲撃のようである。続いて、小高い丘グリーンヒルに登る。頂上からの見晴らしはとてもすばらしい。タヒチの海に匹敵する美しさである。遠くには豪州本土が見られた。頂上には数本の大砲が設置されている。第一次世界大戦以前に設置されたようだ。先に書いた様に対岸のホーン島は第二次世界大戦時、豪州の防衛最前線となり、滑走路が整備されていた。したがってラバウルからの爆撃機の飛来はホーン島に集中(8回の爆撃と頻繁な偵察)して、金曜島は一度も爆撃されたことが無いという。当時、日本の皇女の墓が木曜島にあるため爆撃しないのだという噂があったそうだ。また、一説には700人の同胞の墓があるからだろうといわれているが、木曜島には戦略的価値がなかったことが現実的なところだろう。戦争が始まると、彼らはヴィクトリア州に強制移住させられたようだ。
途中、藤井富太郎翁の銅像が個人宅にあった。氏の孫娘がすんでいる庭に立っている。彼は司馬良太郎が面談した最後の潜水夫だそうだ。
マーケットで他のワーキング・ホリデーでこちらに来ている若い日本女性と出会う。船を見たそうだったが、都合が付かず残念である。インターネットをして船に戻るが、天気予報を調べると、GOVE港到着予定時刻頃はかなり風が強くなりそうなので、半日出航を早めて出発する。
出発当時は風は穏やかで、機走で進む。夕刻久しぶりに完全なグリーン・フラッシュが見られた。