<ヴァリラタ国立公園から>
<ココダトレール入り口>
<ココダの戦いのモニュメント>
<コイヤリ族のツリーハウス>
<極楽鳥>
<オウギバト>
<オウム>
<オーキッド園>
<民芸お土産、ペニス・ケース>
ジョンの運転でポートモレスビー郊外のヴァリラタ国立公園(Varirata)へ行く。ポートモレスビーを一歩出ると途端に人口が減ってくる。言い換えるとポートモレスビーには職を求めて地方から多くの人が集まってきている。残念ながらそれだけの人口をまかなえるだけの十分な職が無く、失業率は90%と言われている。その分
治安が悪くなるのも仕方ないことだろう。PNGでは「ワントク(One Talk)」と言う相互扶助をあらわす言葉がある。これは、困った人がいれば助けてあげるという美しい習慣が現在でも残っている。しかしながら、ポートモレスビーでは負担が大きすぎこのような美しい習慣も廃れていくようだ。
山道を一時間程度上ってゆく。村も余り無く山道である。それでも総選挙と言うことで宣伝カーがこんな山奥まで来ている。ヴァリラタ国立公園は海抜833mの高台にあり、眼下が見下ろせる。ポートモレスビー方面は残念ながら霧でさえぎられていた。
近くの「ココダ・トレール」の入り口に行く。ここは1942年ポートモレスビーを海軍力では制圧できないことが分かり、北岸に上陸後、2000メートルの山越えをして制圧すると言う狂気の作戦が実行された。
1942年7月22日北部海岸のゴナ近辺に上陸し、山越えを開始する。その年の9月にはほぼ山越えをし、ポートモレスビーまで42Kmにあるイミダ・リッジまで進出してきた。しかしながら、補給路がたたれ、ガダルカナ
ル島の状況が思わしくなく、撤退命令が出る。飢えとマラリヤと戦いながらの撤退であった。9月23日豪州軍がココダ・トレールを今度は追跡することになる。最後は北岸のゴナとブナで戦闘が行われたが、結局ここも1943年1月22日に制圧され作戦は終了する。この作戦での日本将兵の死者は12,000人とされている。連合軍の死者が合計3000人ということを考えると、多くの日本将兵は飢えとマラリヤそして弾薬の不足とまったく悲惨な作戦であった。ここで亡くなった両者の冥福を祈る。
このあたりはコイヤリ族の土地で、彼らはツリー・ハウスに住んでいたという。現在は高床式家屋に住んでいるが、車窓に時々ツリー・ハウスが見て取れる。
途中、オーキッド・ガーデンに寄る。その一角に極楽鳥が放し飼いにされている一角がある。世界で43種の極楽鳥がおり、PNGではそのうち36種類が生息している。ここでも、10種類位の極楽鳥が観られた。孔雀と同じで雄がとてもきれいな羽を持っている。地上には、オウギバトが数十匹放し飼いにされている。更には色とりどりのインコが檻の中で遊んでいる。
また、隣接してオーキッド園がある。きれいに手入れされていた。PNGでは多くはデンドロビウムが見つかって
いる。
市内に戻り、再度国立博物館を訪れるが休館で、仕方なく民芸品を売っている店に出かける。とりどり木製品のお面や像が陳列されている。面白いところではお土産としてペニス・ケースが売られていた。せっかくだから、バークで出来た風呂敷状(タパという)の一枚を所望する。テーブルクロスと思って買ったが、聞くと地元では特別なときに着るスカートやブラウスとして使用されているという。