<コロンブス像>
<大聖堂>
<オサマ砦>
<聖マリア礼拝堂>
<最初の植民場所:コロンブスの弟>
<日時計>
<ラス・カサス・レアル(王宮)博物館>
<アルカサル>
<コロンブス記念灯台:霊廟>
<サンタマリア号の錨とランプ>
9時に時間通り運転手ドナルドが迎えに来た。サント・ドミンゴまで1時間45分のドライブである。
西に向かってよく整備された高速道路をひたすら進む。走りながら、気がついたことは
①道端のグランドで少年野球チームが試合をやっているのが良く目についた。タイを出てから野球文化に接したのはこれが初めてである。
②今までの小アンティル諸島の島々に比べてとても大きく且つ平野が広い。500年前、いち早く此処へ来たスペインもすべての島を統治できない為、大アンティルの大きな島々に集中したのは戦略的にもうなずける。
③道路に面した街並みは決して貧しくはなく、サント・ドミンゴに近づくと中層ビルが立ち並び、大都会である。
車は、ソーナ・コロニアル(旧市街)の中心で止まると、すぐさま、観光ガイドが来る。二時間ほどの案内を頼む。
まずは、コロンブス公園にあるコロンブス像から案内が始まる。コロンブス像の左手が示している方向がプエルト・プラタである。プエルト・プラタはイスパニョール島(コロンブスはこの島をこのように名付けた)の北岸の港で、この島では初めて立ち寄った場所である(1492年12月5日)。その時サンタ・マリア号が座礁して、仕方なく、残骸で仮の砦を作り39名の乗組員を残して帰国した。二回目の時、此処に立ち寄ったが、砦は破壊され、乗組員全員が殺されていたという。仕方なく、現在のサント・ドミンゴに来て、オサマ川東岸に入植地を確保し、そこを弟のバルトロメオ・コロンに任せている。のちに、スペインからニコラス・デ・オバンド提督が赴任してくると彼は利便性から現在のサント・ドミンゴに入植地を移し、発展していく。
また、銅像の台座には先住民タイノ族の女性酋長が刻まれている。
続いて、大聖堂にゆく。1510年から1519年にかけて建設された新大陸では最も古い大聖堂である。1605年にコロンブスの遺言に従い、スペインから彼の遺体が移されてここに安置されていた。因みに、1992年に新大陸発見500年祭に、コロンブス記念灯台が建設され、改めて遺体はそちらに移されている。
旧市街を少し歩いて、オサマ砦に向かう。1505年から1507年にかけてオバンド提督により建設された砦である。
使用されている石はほとんどがサンゴ石である。この島は海底の隆起でできたため、サンゴ石が使用されたようだ。
城壁をよく見ると、新旧二つの城壁になっている。古い方は当然建設当時のものであるが、新しいものは独裁者トルヒーヨが政治犯収容のため此処を監獄に作り替えたとき新たに付け加えられたものだそうだ。トルヒーヨはだいぶ昔ニュース島で聞き覚えのある名前である。しかしこちらでははなはだ評判が悪い。サント・ドミンゴ市をトルヒーヨ市と変えたり、最高峰をトルヒーヨ山と変えたり好き放題していたようだ。最後は暗殺されて、遺族はかれの遺体を持ってフランスに亡命した。
砦からアルカサルまでの道路を「貴婦人の道」と呼んでいるが、コロンブスの息子が妻と女性従者50人を連れてきており、彼らがこの道をよく通ったのでそのように言われている。この道の左右には古い建物が連なっている。そのひとつ、現在パンテオンとして、高名者が埋葬されている建物がある。元々は1714年にイエズス会の教会であったがタバコ倉庫になったり、国立劇場になったりと変遷してきた。建物の中で国旗の説明があった。青は「自由」を表し、赤は「血」をそして白い十字は「キリスト教」を表している。とくに真ん中のエンブレムには「神」「大地」「自由」と文字が書かれており、聖書が描かれている。
国旗の中に聖書が描かれているのはドミニカ共和国の国旗のみだそうだ。
斜め向かいに「聖マリアの礼拝堂」がある。隣の広場に1753年製造の日時計がある。この広場から東の方角、オサマ川の対岸に小さな白い教会が見える。このあたりが、バルトロメオ・コロンが最初に入植した地である。
広場に面して、ラス・カサス・レアル(王宮)博物館がある。1492年~1821年まで歴代の提督が此処を利用していた。
現在は博物館になっている。各国の武具などが陳列されており、日本の刀や甲冑などもあり驚かせれる。
帰途、ドミニカ共和国特産の石、ラリマールの加工工場による。トルコ石より多少淡く、明るい感じがする。また、お土産物屋には必ず絵画が売られている。ドミニカの絵画とハイチの絵画が混在して売られている。
ハイチの絵画はアンドレ・マルローによりその評価を高めヘイシャン・アートとまで言われている。なるほど、混在している絵を比べるとヘイシャン・アートの方が上質のようだ。二三買いたがったがかさばるのでやめにした。
昼食後、オサマ川対岸のコロンブス記念灯台にゆく。可なり大きな建物で上から見ると十字架の模様をしている。時折、天空に向けて多くのサーチライトが放たれ、夜空に十字架が現れる趣向である。此処はコロンブスが新大陸を発見した500年目を記念して1992年に建設された。完成と同時に、コロンブスの遺体が大聖堂から此処へ移され、建物のセンターに安置されている。決まった日には遺骨は開放されるという。中にはコロンブス関連遺物、たとえばサンタ・マリア号で本当に使用されていた錨や銀製のランプなどが陳列されていて、コロンブスが身近に感じられる。
サント・ドミンゴを歩いてみて、こちらの人々の顔立ちが今までと違うように思われる。色が黒い人がほとんどだが、それほど黒くなく、顔立ちも純粋の黒人の顔立ちではない。聴くと彼らは黒人と白人の混血でいわゆるクレオールである。今までの国々では、黒人と白人が同じ国民だが、それは両者が混住している状況であった。一方、ドミニカ共和国では混血が大いに進んでいる。なお、ドミニカ人は自分たちのことをクレオールと呼ばずドミニカ人と胸を張っていた。