<サーカスの時計台>
<トーマス砦跡>
<Cattle Bird の生息地>
<Bloody Point>
<先史時代の線画>
<Brimstone Hill要塞>
<島の東端>
<観光タクシー運転手:SAM>
<Sさんのレストランにて>
本日はタクシーでセント・キッツ島を観光するが、事前に島の歴史を調べて見た。興味があったのは、カリブ海での西洋人の植民がここセント・キッツ島から始まったということである。最初にイギリス人が続いてフランス人が入植する。イギリス人が島の中央部を、フランス人が島の北と南を分割利用していた。当初、彼らは共同でカリブ族と争っていたが、これを殲滅した暁には、今度は互いに争うようになった。最終的にはジュネーヴ協定で正式にイギリス領になったが、島内に多くのフランス語地名があるのはこのためである。この間、ここでの入植の成功を見て、他の島々に西欧人が入植をしていったということで「入植の揺りかご」といわれている。
いよいよ、タクシーで島内観光である。最初はマリーナのあるBasseterre地区を回る。Basseterre とはフランス語で意味はLowLandだ。確かに、扇状地の裾野に広がる一帯で「下の方にある土地」そのものである。なお、港のある地区はPort Zanteというが、かつては港一帯をギリシャ人のZante家が入手していたためだそうだ。現在は埋め立てられて大きなモールになっている。その先が豪華客船が停泊する波止場と続いている。モールの山側の入り口には「National Museum」がある。この建物はもともとは港湾建物でここから先が波止場になったいたようだ。後背地には植民地時代の建物が多くある。多くはイギリス支配の後の建物である。町の中心に「Circus」という交差点がある。真ん中に古い時計台が据わっている。
少し行くと「Independent Square」という公園がある。デザインはユニオン・ジャックを模してある。もともとはここは奴隷市場であったそうだ。
町をぐるっと回って、港の西側の岬に行くと「トーマス砦跡」があり、かつてはPort Zante港を守っていたのであろう。近年まで豪華ホテルがあったようだが、現在は廃墟となっている。
島の西側に沿って北に上がっていくとBloody Pointと言うところに着く。小さな小川があり、1626年ここでカリブ族が英仏共同の入植者に虐殺されたところとして知られている。
さらに北に上がっていくとOld Road Townと言うところを通過する。ここがカリブ諸島で初めてイギリス人が入植した場所である。
さらに北上すると、道路を少し山側に入ったところにフェンスに囲まれた大きな三つに石が見えてくる。説明によると今から4500年ほど前、此処にいたAmerindianが残した線画だそうだ。男女二人の線画で女性は妊娠しているようだ。安産を願ったものかもしれない。カリブ海に来て初めてAmerindianの痕跡を見ることができた。
小道をさらに行くと、Romney Manorと言う庭園にたどり着く。きちんと整備された庭園で中に何の謂れかマレーシアのバティックの実演小屋がある。
国道に戻って北にゆくと本日の目的地、「ブリムストーン・ヒル要塞」が見えてくる。ネイビス山(火山)の裾野に疣のように盛り上がった丘陵上に築かれた砦である。こんな小さな島には大きな砦で、此処の戦略的重要性をうかがわせる。
このあたりは当初からイギリスの支配地で、海岸線にあったチャールス砦がフランスに占領された時があった。その折、それを奪還するためイギリスがこの丘陵に大砲を据えたのが最初と伝えられている。その後、この砦の重要性を感じたイギリスは本格的に砦を築いた。その後の有名な話として、1782年再度フランスが8000名の兵士を投入して侵攻してきた。迎え撃つイギリス軍は1000名で一カ月ほど奮戦したが2月12日に投降した。その折、仏軍は英軍が整列行進して退城してゆく名誉を与えたという。翌年の1783年にヴェルサイユ協定で改めてイギリスの支配が確立した。
島内を時計回りにすすんでゆく。あたりには見擦れられたサトウキビ畑と砂糖製造工場の風車跡と煙突が目につく。かつては産業の中心であり、数年前まで操業されていたが、コスト競争力が低下し、廃業してしまった。
また、島内一周するサトウキビ鉄道があって、現在は東半分の路線が観光用に利用されている。
島の東端は現在大規模なレゾート開発が計画されているそうだ。池を開削してマリーナを建設する計画もあるとか。
今回のタクシー運転手はとても気さくで知識も豊富で楽しい観光ができました。
夜は紹介されたSさんが彼の運営するレストランに招待してくれた。