<ブリッジ・タウンの豪華客船>
<Carlisle Bay>
<チェンバレン橋>
<国会議事堂>
<博物館:議事堂の向かい側>
昨晩から、前方に島影が視認できないかとたびたび眺める。昼間は島影が見えなかったが、日が暮れて20時頃、前方遠くの水平線がぼやっと明るい。やっと、バルバドスが見えるところまで来たとの思いを深くする。明け方にかけてどんどんはっきりと大きくなってくる。これで大西洋横断成功だ!
1月3日バルバドスのブリッジタウンに到着する。飛鳥クラスの豪華客船が2ハイ、それより多少小さめの豪華客船が1ハイ早朝に接舷し、盛んに観光客がバスで出かけてゆく。その間の狭い岸壁にやっと舫いをとり入国続きをする。手続き終了後、さっそく錨泊地 Carlisl Bayに行き、錨をおろす。清水はまだ多少ありそうだがいつ切れるかわからないので落ち着かない。ゴムボートをおろし、町を探検に出かける。少し回り込んだところに川の河口があり、そこをさかのぼっていくとブリッジタウンの中心地にたどり着く。岸に数ハイのゴムボートが舫ってあるので近くに我々もボートを止める。事前の話では泥棒に気をつけろとのことであったので、多少心配しながら、町に入る。黒人が中心の国と聞いていたが町を歩く半分が白人である。彼らはすべて豪華客船で来た観光客のようだ。
チェンバレン橋の近くの川沿いのレストランでとにかく腹ごしらえをする。飛魚のフライが旨いとのことでさっそく注文する。確かに旨い。ほかの料理も含めて3サラ平らげ、ビールを各自2杯たしなむ。びっくりしたのは、清算金額が合計160バルバドス・ドル(80USドル)とびっくりする値段である。観光客料金を請求されているようだ。
帰りがけに清水を供給してくれそうなところを探したが見つからない。明日再挑戦することにして帰船する。
カリブの民族について
カリブ諸島に人が住み着き始めたのはBC2500年頃と推定される。もっとも新しい民族としては、アラワク族で今から2000年ほど前に南米大陸から小アンティル諸島を北上し、大アンティル諸島まで行き定住している。
その後、今から600年ほど前、コロンブスが新大陸に来る100年ほど前に、南米大陸から新たにカリブ族が小アンティル諸島を北上し、そこにいたアラワク族を殲滅し、定住したようだ。したがって、コロンブスが新大陸に来た時は、大アンティルはアラワク族、小アンティルはカリブ族が住んでいたことになる。その後、西洋人がカリブ諸島に入植始めると、アラワク族は無抵抗にも入植者の労働力とされ、その苛酷な労働と西洋人が持ち込んだ病気のため、ほとんどが絶滅することとなる。現在では民族としては存在していない。一方、小アンティルのカリブ族は武器を持って対抗した。残念ながら圧倒的な武器の違いで彼らは武力で絶滅してしまう。現在ではドミニカ国の一部に居留区を持っているにすぎない。このときの先住民族の対応の違いから、アラワク族は平和主義者でカリブ人は好戦的な民族、果ては人食い人種とさえされ、カリバリズム(人食い)と言う言語までできてしまった。
先住民の殲滅りより、労働力不足が起こり、これを補うため、アフリカの黒人が奴隷としてつれてこられた。3世紀にわたる奴隷制度が存在した時期にアフリカから900万人~1200万人の黒人が連れてこられたと推定されている。
その後、奴隷制度が廃止されると、季節労働者として多くのインド人や中国人が多く渡ってくることになる。
したがって、現在のカリブ諸島では、アフリカ黒人が住民の中心となっており、国によってはインド人や中国人が多くみられる。もちろん、定住した西洋人の子孫も多く存在する。
クレオールについて
カリブ諸島では、プランテーションで働く労働者は多様な民族が混合しており、意思疎通が難しかったようだ。そこで自然発生的に言語が混合し、新しい言語が生まれた。これをクレオール(語)と言い、母体となる言語はフランス語、英語、スペイン語でこれにアフリカ語、カリブ諸島先住民の言葉等がミックスしてできたという。とくにフランス語を母体としたクレオールは現在でも民間で通用しており、クレオール文学まであるそうだ。
因みに、クレオールは言語だけでなく人にも当てはまる。西洋人が入植後、母国を知らない二世、三世が生まれてくるが、彼らもまたクレオール(人)と言われた。ナポレオンの妻ジョセフィーヌ(5世と言われている)もこの伝でいえば立派なクレオールである。また、黒人の子孫も同じようにクレオール(人)と言われる。
料理にもクレオール料理がある。詳しくは後述することになるが、小泉八雲はアメリカでの新聞記者時代クレオールに興味を抱きレシピ集「クレオールの料理」を出版している。