<アヴィニョン橋>
<ロシェ・デ・ドン公園>
<法王庁宮殿>
<サン・ポール病院>
<ローマ時代のモニュメント>
<レ・ボー・ド・プロバンス>
8時半頃のTGVでアビニョンまでゆく。我々は、二等車でゲストはユーロパスで一等車に乗る。40分ほどでアビニョンにつく。
SS君の親戚の方が手配してくれたバスがアビニョンTGV駅で出迎えてくれた。ワゴン車で我々だけの占有である。運転所兼ガイドは女性でとても付き合いやすい。
<アビニョンにて>
まずは、アビニョン橋がよく見える中須(ローヌ川)に行く。逆光であったが、橋と城壁に囲まれた街が見渡せる。
戻って、アビニョン橋に行く。別名(正式名?)はサン・ベネゼ橋という。ベネゼという人が神の意志でこの橋を造ったという言い伝えがある。
12世紀に完成したが、たびたびの洪水で橋が壊され現在は4本の橋脚に掛かる橋のみとなっている。
町の北西端に岩山が川にせり出しているが、ここは現在ロシェ・デ・ドン公園と呼ばれている。この場所に最初に人が住み着いた場所で、当時の呼び名(忘れてしまう)が現在の地名アビニョンのもとの名前になっているそうだ。
ガイドによると、発音は分かっているが、その意味は諸説あるという。
法王庁宮殿に入る。1309年にイタリアにあった法王庁がここへ移ってくる。いわゆる「法王のアビニョン捕囚」だ。ガイドの説明を聞くと、法王が自発的にここへ来たような印象を与え、およそ「捕囚」とは言い難い。いずれにしても、68年間7人の法王がここに滞在したようだ。
最初の二人は小さな宮殿(プティ・パレ)に住んでいたが、三代目法王が1334年から大きな宮殿を建設する。現在の北と西の建物だそうだ。引き継いだ法王が今度は南と東の宮殿を増築し、一体化した。
歴史が古く、火災、人災のため中にあった品物はほとんどが失われている。面白いには、入って間もなくの部屋が「財宝室」になっている。床の大きな石を外すと下に倉庫があり、法王庁の財宝が納めてあったという。エジプトのピラミッドを彷彿とさせる。
町の中心のカフェで昼食をいただき、13時半にアルルに向けて出発する。出発してしばらくすると、サン・ポール病院に着く。
ここは、ゴッホが1889年5月から1890年5月まで入院した精神病院である。ゴッホはここで有名な絵画を多く描いている。ちなみに、第一次世界大戦時、捕虜収容所になっており、シュバイッツアー博士もここにいれられていたそうだ。
病院のすぐ近くには、ローマ時代のモニュメントが二つ残っていた。BC1とBC3に建てられたそうだ。
<ゴッホ橋>
<エスパス・ヴァン・ゴッホ>
<カフェ・ヴァン・ゴッホ>
<円形闘技場>
<アルルにて>
アルルに向かう途中、アルコールでいい気持になったわれら8人は車の中で大騒ぎ。ガイドにフランスの歌を歌わせる始末。と思いきや、突然全員だまりも食ったと思えば、居眠りする始末。
ガイドがこぼすには「今までの日本人観光客はみんな静かに、礼儀正しかったが、こんなに騒ぐ日本人は初めてだ」と言われてしまった。
しばらくの午睡ののち、ゴッホ橋につく。観光地と見えて他にも観光バスが来ている。こんな素材であんなに魅力的な絵を作り上げたゴッホはやはり天才か狂人であったのであろう。
市内の駐車場に車を置き、まずは、ローヌ河の岸を歩く。ここもゴッホが描いたローヌ川の場所がある。川岸にはコンスタンタン帝が作ったローマ風呂の跡がある。
その後、有名なカフェ・ヴァン・ゴッグに行く。ここも有名なゴッホの絵になっている。ガイドにここで休憩を申し出ると、アルコールをまた飲むかと警戒される。仕方なく、次のポイントであるエスパス・ヴァン・ゴッグに行く。
ここはかつては1989年2月に入院した病院だそうだ。ここでも有名な絵を残しており、現在の建物もその絵のように戻されている。カフェ・ヴァン・ゴッグでの休憩を許される。やはり、ビールを飲んでしまう。でも、良い思い出である。
サントロフィーム教会の前の広場では、ローマ時代の衣装を着た人々が練り歩いている。(観光用だとは思われるが)
続いて、円形劇場に行くが、現在は入れない。隣の円形闘技場で自由行動になる。われらは、中に入り円形闘技場を眺める。現在は遺跡というより、闘牛の会場になっており、年二回闘牛が催されるという。歓声をイメージしながらビールを飲む。
7時に集合し、ガイドに国鉄駅まで送ってもらって、お開きになる。
ところが、予定の電車が50分遅れるとのアナウンス。仕方なく、町に取って返して、夕食をとる。ころ合いを見計らって、駅に行くと、予定した電車がいつ来るか不明との情報である。その次の電車は予定通りだが、まだ一時間ある。
蚊に刺されながら、プラットホームで電車を待つ。フランス人乗客も文句も言わず待っている。遅れには慣れているのだろう。
マルセーユに23時ころ到着する。