(レフカダへの水路入口)
朝6時にパトラ・マリーナを出発する。今日も無風、機走でレフカダへ向かう。
パトラからまっすぐ西に時間ほど行ったところが「レパントの海戦」で名高い場所である。オスマントルコと西欧列強による、ギャレー船による最後で最大の帆船の戦闘であった。
1571年10月5日正午ごろ戦闘が開始され、その日のうちにオスマン・トルコが敗れ、これを機会にオスマントルコの衰退がはじまる。同時に、西欧軍の中核であったベネチアも衰退していく。歴史の境目を演出した海域を通過しえいることになる。
海戦場所から、今度は進路を北に取り、レフカダに向かう。途中左手にイタケ島を望む。ここはトロイ戦争で武勇のアキレスか知恵のオデッセイウスかと謳われたオデッセイス(またはユリシーズ)の生まれ故郷である。トロイ戦争で「トロイの木馬」を考え出したのがオデッセイスである。彼の妻、ペネロペイヤは夫の帰りを20年間も待った貞女としても知られる。
イタケ島を過ぎると最後は非常に浅い海域で、現在は6Mほど浚渫された水路を通る。
この水路は古代からあったそうである(場所は現在の水路に並行して、東側にあったそうだ)
水路をゆっくり1時間ほど行くと、突き当りに港と大きなマリーナがある。今晩はこのマリーナで舫いをとる。
ラフカダは小泉八雲が生まれて二歳まで過ごしたところだそうだ。彼のラフカディオはラフカダから来ているそうだ。
また、すぐ近くの本土側の北にニコラウスという場所があるが、ここの前の海域はは、シーザーの跡目をめぐって、オクタビアヌスとアントニウスが戦い、オクタビアヌスが勝利した歴史的場所がある。
さらに、古代ギリシャの女流詩人サフォー(レズビアンでも有名)がこの島の南西端にある崖から投身自殺したといわれている。
なかなか、歴史が濃い場所である。