[Souda港:ヨットハーバー]
[Aptera遺跡のトルコ時代の城砦]
[ベネチアン城塞]
09.07.31(Souda & Aptera)
09.07.31(Souda & Aptera)
ゲストが到着するまで、ハニアの東方面を観光する。
ハニアの反対側にある、Soudaと言う港に行く。ヨット関係ではあまり紹介されていない場所である。
確かに、ヨットハーバーはあるが、近くには何にもないし、地元からはあんまり歓迎されていないようだ。
緊急避難(東風以外ならシェルターとしては大変良いと思われる)には良いだろう。
さらに東に向かって、Aptera遺跡に行く。詳細はよくわからないが、紀元前13~14世紀には存在していたようだ。一番新しいもので、オスマントルコがきずいた城がほぼ完全な形で残っている。
そこから下を見ると、ベネチアン砦が海岸線に見渡せる。向こう側にある島(スーダ島)にも要塞跡がみられ、昔から重要な場所であることがわかる。
<クレタ攻防戦(第五次隊トルコ戦争)>
1645年から1669年にわたり、オスマントルコとの五回目の戦争がクレタで25年も続く。
トルコはハニア近郊に上陸し、近くの聖テオドーロ要塞を攻める。守備隊長ビアジオ・ジュリアーニは要塞全体に火薬を置き、要塞もろとも自爆している。トルコはその年には、ハニアを攻め落とす。さらに東進し、ここスーダの要塞(海軍基地)を1645年に攻めたが、海上要塞の利点を生かし25年間の攻撃をしのいでいる。仕方なく、トルコ軍はさらに東進し、レスミノを1647年に落とし、さらに東進し、1648年にイラクリオンを包囲攻撃する。ここの守りも堅く、以後22年間トルコの攻撃を防ぎきる。最終的には1669年にクレタの放棄が和平交渉の結果決まる。クレタの要塞としては、スーダ、スピナロンガ、カラブーサが従前どおり、ヴェネツィアが領有することになる。