<山上の垂訓教会>
<ガリラヤ湖>
<Druze村の民家>
<Ceasarea>
<EMYR主催者宅でのパーティ>
09.06.16 ハイファ北東部 と南部の古代港町
以下の場所にバスで観光に行く:
1)Capernaum(カペナウム)
カペナウムはガリラヤ湖の北端に位置し,イエスがいたころは漁村であった。「誘惑の山」(エルサレム北東約10KM)でイエスは40日間の断食修行を通して教義を構築した。最初はナザレで伝道したが、受け入れられず、30歳の時ここへきて、3年間滞在する。この間此処を拠点としてガリラヤ地方(ガリラヤ湖の西部地方。ナザレもその地方に入る)で伝道を開始し、いろいろな奇蹟を行ったようだ。たとえば、ここカペナウムでは中風患者をたちどころに治したり、ローマの百人隊長が部下の中風の治療を依頼し、叶えてあげたり、さらにはカナペウムとベトサイダ(パンの奇跡教会あたり)の間の湖上を歩いて渡ったりといくつもの奇跡をおこなった。
カペナウムから湖畔を西に少し行ったところに「山上の垂訓教会」がある。ここで有名な「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである」と弟子や民衆たちに垂訓した場所である。
さらに少し西に「パンと魚の奇跡の教会」(ベドサイダ)がある。5つのパンと2匹の魚で5000人の食事を与えた奇跡を起こしている。余談だが此処ガレリヤ湖でとれる魚はセント・ピーターズ・フィシュと呼ばれている。
すぐそばには「ペトロ首位権の教会」がある。イエスが伝道の間、此処の漁師であるペトロとアンデレ兄弟が弟子となる。
弟子になった経緯は聖書によると次のようだ。アンデレは元々洗礼者ヨハネの弟子であったが、イエスとかかわっていた。ある時兄のペトロと船で漁をしていた時、イエスに頼まれ沖に出かけた。そこで網を打つように言われた。当日は全くの釣果がなく疑問に思いながら網を打つと大漁であった。側にいたもう一船にはゼベタイの子ヤコブとヨハネが乗っていたがこれも大漁。4人とも即座に弟子になったと言われる。
さらにはガリラヤ湖西方20km、ナザレ北方15kmの「カナの婚礼」の奇跡で有名なところがある。
2)ゴラン高原
かつて、シリアが占領していたが、現在は、イスラエル領になっている。この間幾多の戦闘があったと記憶する。ゴラン高原のテッペンは大変なだらかで、ほとんどが畑として利用されている。ここから、東を見れば、シリアが目の前に見られ、西側は、眼下に「Sea of Galilee]が見られる。
3)Druzeの村
ここは、Druzeと言う宗教を信じる人が集団でで住んでいる村である。この宗教を信じる人は約二百万人くらいおり、国家を持たないとのことである。古くはエジプトから分かれてきたようだ。Duruzeの一軒で話を聞きながら、彼らの食事をいただく。
4)カルメル山とキション川
Druzeの村を後にして、山道を西に下っていく。途中有名なカルメル山がある。ここで、イスラエル北王国(ソロモン王亡き後、紀元前926年に分裂した一つの王国である)でユダヤ教を忘れた人々に喚起を促すため、ユダヤの預言者エリアが異教バール教の預言者450人を相手に法力の挑戦をした。積み上げた薪に牛を乗せ、法力で牛を丸焼きにする。エリアが勝ち、450人のバール教預言者は怒った人々に近くのキション川のほとりで殺された。以降、この川では時々赤い水が流れるそうである。
5)Caesarea
海岸に出て、カエサリアに入る。 ここを治めたヘロデ大王が、巨大な港町を建設し、ローマ帝国にサービスを提供することで生き延びたとのことである。その名前も、シーザーからとっているとのことである。すぐ近くには、神殿や戦車競技場も作られていた。その後、イスラム国家がここを落とし、完全に破壊したようだ。