09.06.07 Parmira (パルミラ)に向かう
ダマスカス東方235KMにあり、昔からメソポタミアと地中海の中間にあり、重要な商業都市として栄えた。
発掘調査によると、旧石器時代にさかのぼるようだ。その後、Cannanites,Arameansが住み着き、紀元一世紀にはローマ人が入り込む。さらには636ADにはアラブのKhaled Ibn el Waleedが支配することになる。現在見られる遺跡(The Temple of Bel)は、紀元3世紀にここを支配したZenobia女王が残したものである。
見学場所は:
The Temple of Bal
(一地方の王国がこれだけ立派な神殿を建てるにはそれだけの財力があったと思われる)
Grave yard
(一族の墓: 石で作った7~8mの塔のようなもので、中の両側には棺桶が押し込める隙間があり、最後はその口を故人の顔を彫刻した石蓋でふさぐ。一族が数代にわたって葬られている。故人はミイラにされており、4体が博物館に収められている。
また、別のところには、一つだけ、地下の墓があり、三兄弟の墓とされているが、共同墓地のような機能をしているようだ。)
ローマ時代の遺跡
(凱旋門、ローマ風呂、アゴラ、ローマ劇場等の遺跡が見られる)
Castle of Fakhr Eddin Ben Maen
(Parmiraのすぐ後ろの急な丘の頂上に建てられた城である。ここからPalmiraの町全体がよく見渡せる。)
博物館
(ここパルミラで発掘されたものを納めている。前述の4体のミイラや、神殿にあった彫像、棺桶の蓋等が収められている。石の彫刻はどれも非常にリアルである。また、日本政府のODAで収納箱や電子機器が送られており、日本のマークがそれらに張られていた。)