<リマのバス・ターミナル>
朝6時ころ起こされる。それからもずっと砂漠地帯である。17時にやっとLIMAに到着する。27時間のバスの旅であった。それにしてはあまり疲れを感じない。
到着と同時に、予定の当山マンションに電話をかけて、予約の確認の上、タクシーで向う。宿には同年輩の三グループが投宿していた。
明日が速いので、近くの日秘会館(日本ペルー会館)で日本食を食べて宿に帰る。
ペルーに入ったので、有名なインカ帝国の歴史について少し触れておこう。
インカ文明は5000年続いたアンデス文明の最後に輝いた文明である。13世紀ころ一地方王国として発生したようだ。
インカの建国伝承によると、マンコ・カバックという人物がインカ帝国の最初の指導者であったと伝えられている。また、皇帝は13代続いたとあるが、最初の7代目まではその存在があやしいという。
15世紀中ごろになると、近隣のチャンカ族(帝国?)が周りを侵略し始め、当時の皇帝(8代?)ヴィラコチャと息子のウルコンは帝国を投げ出し逃亡してしまう。しかしながら弟のクシ・ユパンキ(後、9代皇帝パチャクティ)が少数の兵士でチャンカ族を撃退してしまう。近隣の部族も対応を変え、インカ側につき、ついにはチャンカ族を併合してしまう。その後の三代皇帝でインカ帝国全盛期を迎える。15世紀中旬から15世紀末までに急拡大を遂げる。
10代皇帝トゥパク・インカ・ユパンキは南のチムー帝国を併合、11代皇帝ワイナ・カバックが北方の帝国を併合し、最大領土となる。北はコロンビア南部、南はチリ北部の4000kmにわたる領土である。
16世紀に入り、11代皇帝が死ぬと、皇帝の息子ワスカルと庶子のアタワルパが跡目争いを始める。この内戦状態の中、ピサロがペルーに侵入して来て、アタワルバをカハマルカでだまし討ちにして拘束してしまう。莫大な保釈金を積んだが、ピサロは彼を中心に抵抗が始まるのを恐れて、約束を反故にして1533年に処刑してしまう。そのまま、南下して1533年首都クスコに無血入城し、約200年続いたインカ帝国(アンデス文明)は滅んでしまう。
その後、時々は抵抗運動(アル・カバックやマンコ・インカ等々)があったようだが、圧倒的な軍事力(兵器の差?)で帝国回復は果しえぬ夢となってしまった。
インカ文明はその歴史が劇的であるばかりでなく、金銀を豊富に使った装飾品、建造物の見事な石組み、頭蓋骨への外科手術、そして山奥のマチュ・ピチュ等々、大変謎が多い文明である。それだけ人々を引き付けるようだ。